2021年10月17日

徳川家康が非業の死を遂げた豊臣英次に宛てた貴重な書状が発見

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今年の初夏に流れた大変に興味深いニュースをフラッシュバック。

静岡市は徳川家康が1590(天正18)年に豊臣秀吉の甥の豊臣秀次に宛てた書状の原本を入手したと発表して世間を驚かせました。
伊達政宗や浅野長吉(のちの長政)など歴史上の武将が登場し、豊臣政権下での徳川家康の役割や豊臣秀次との関係が判る貴重な資料。
若くして非業の死を遂げた豊臣秀次宛ての書状発見は珍しく、静岡市は2023年開館予定の歴史博物館に展示する予定のようです。

*インターネットより関連写真を抜粋させていただきました。






書状の日付は1590年12月8日。豊臣秀吉の命令で徳川家康が居城を駿府から江戸に移したころの書状のようです。
東北で起きていた一揆に伊達政宗が関わっていると噂されていたことを巡り、鎮圧に当たっていた浅野長吉から「伊達政宗の動向が分からないとのことでしたが、政宗は味方で間違いない」と報告を受けた徳川家康が豊臣秀次に伝えるために出した書状となっています。

*インターネットより関連写真を抜粋させていただきました。






徳川家康は当時、豊臣秀次や浅野長吉らと東北の平和維持に当たっており、書状からは徳川家康が関東・東北で豊臣政権と大名をつなぎ、大名に指導する「取次役」を担っていたことが判明する資料です。
駿府城にいた時から豊臣政権の大名の中でも、東の重鎮だったと考えられ静岡市によると、この時期の徳川家康の動きに注目することが、駿府城築城における豊臣政権の関わりの追究に繋がる貴重な資料です。

静岡市歴史文化課の担当者は「20代で亡くなったとされる豊臣秀次宛ての書状が見つかること自体が貴重」と話しています。
静岡市は博物館開館に向けて展示資料の収集を進めており、書状は京都市の古美術商が昨年10月発行したカタログに紹介されており、静岡市が650万円で購入しています。














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